喜井黄洋

喜井黄洋(きい こうよう) 本名 繁晴。
1901年(明治34年)西由岐生まれ。
幼少の頃から絵に関心が深く、昭和初め頃に矢野鉄山に弟子入りし、南画家として第一線で活躍しました。
紺綬褒章、大阪府芸術文化功労賞など数々の栄誉を受賞したことで世に知られています。
墨の濃淡を基調に薄く色彩された氏の作風には、優雅な山水の世界に幽玄の美を追求するという、格調の高い深遠さが感じられます。


氏はよく取材旅行に出かけましたが、そのたびに絵日記を残し、その数も40冊近くにのぼっています。
また、ヨーロッパや中国にも7、8回訪れました。その際に、徳島新聞や在阪各紙にスケッチ風の遊行記を発表し、好評を得ました。北京では、中国美術界の重鎮、愛親覚羅溥佐氏の知遇を得、国立天津美術院の客員教授にも任ぜられています。


氏はどこにいてもいつでも故郷由岐のことを気にかけ、学校や公民館などに大作を寄贈するなど、誠実な人柄がうかがえます。


昭和51年由岐町名誉町民。平成9年2月大阪府にて没。





