漁場開拓の歴史

明治時代半ば、石垣弥太郎の九州進出に刺激されて、多くの人が九州に進出しました。
初めは五島、大正時代半ばごろ長崎に、さらに博多へと移り、その頃から漁船も機械化・大型化されました。
事業も漁業だけでなく、石油、製函、冷蔵冷凍などの多角的な事業で成功した人も出ています。大正末から昭和にかけて、土佐清水、室戸、神奈川県三崎市へも進出。まぐろ延縄漁で成功をおさめた人々もいます。
石垣弥太郎
弥太郎は1888年(明治21年)、28歳でカンコ船十隻を従え博多へ出向きました。鯛の一本釣りではうまくいかず空しく由岐へ舞い戻りましたが、「レンコ」のほか「アカモノ」が釣れるのを知った弥太郎は、挫けることなく毎年レンコ延縄に挑戦しました。
1902年(明治35年)には一本釣りの全盛期を迎えます。のちに以西底引網へと発展するのですが、正に北九州の漁場開拓はこの石垣弥太郎にはじまったといえます。
1933年(昭和8年)6月没。
楠本勇吉
カツオ、マグロ漁船員であった志和岐出身の楠本勇吉は、1902年(明治35年)、29歳でカツオ漁を目指して岩手県大船渡村へ渡りました。現地は沿岸漁業の不振で悩んでいましたが、勇吉は意外に豊富な「アカモノ」に目をつけ、故郷でやっていた「てんてん釣り」の漁法を指導。以後漁獲量は飛躍的に伸びました。氏の滞在28年の漁法指導と実績は、村民による功績碑建立と小学校の副読本にその名を留めるなどの栄誉を得ました。1928年(昭和3年)8月没。





