阿波のいただきさん

「いただき」とは、頭の上に物を乗せて運ぶ姿からきた呼び名であり、阿部や伊座利で獲れるわかめ、ひじき、あわび、さざえ、などの海産物を、山を越えて近隣の農村へ運び、物々交換を行ったことが「いただき行商」の始まりと言われています。
それが時代と共に規模や形を変えて、やがて日本中に売り声がこだまする時代を迎えることになります。
初めは県内一円の行商でしたが、次第に阪神、瀬戸内海方面に進出。最盛期(大正時代半ば)には、東は関東甲信地方、北は能登半島から北陸一帯、西は山口から九州、朝鮮半島にまで及びました。
商才のあるしっかり者 矢倉モト
1829年(文政11年)1月生まれ。
明治維新の前、大阪が洪水による食糧危機のときには、持ち前の商才を発揮して、こんぶの行商で大きな利益を得、それが刺激となって阿部・伊座利のいただき行商をさらに発展させる大きな要素となりました。
モト81歳のとき、海部郡長より公共事業功労者として表彰されました。
1920年(大正9年)4月没。
自慢ののどと愛嬌で人気者の 角田タマノ
1880年(明治13年)6月生まれ。
16歳から行商に従事し、陸路を紀州由良から尾鷲までを行商範囲とし、片道で三ヵ月半を要しました。得意先は千軒を数えたと言われています。
60歳で第一線を引退。その後は「いただき行商民俗史」の生き証人として、各界で活躍されました。
1979年(昭和54年)6月没。





