伊座利のむらづくり

伊座利のむらづくり

天皇杯を受賞した漁村

美波町伊座利地区は、三方を山に囲まれた旧由岐町の6つの集落の中で最も小さい漁村です。
この小さな漁村が今、新聞・テレビ・インターネット等で全国から注目を集めています。

天皇杯伊座利では、90年代後半頃から住民みんなで村おこしの活動を行ってきました。伊座利校に短期留学の生徒を呼び込む「海の学校」にはじまり、「倶楽部イザリ〜ノキャンプ場」、「アラメの加工販売」、「イザリCafe」などの事業を興すまでにその活動は成長します。
そして2007年11月、住民でつくる「伊座利の未来を考える推進協議会」が農林水産祭の「むらづくり部門」で天皇杯(最優秀賞)を受賞しました。


村おこしをはじめたきっかけは?

美波町全体が過疎化に向かっている中、とりわけ伊座利地区のような極めて小規模な地区はその影響が顕著に、そしてはやく表面化しやすいものです。
90年代前半、伊座利では子どもが減り、学校存続の危機に見舞われていました。

「学校がなくなれば伊座利の村自体がなくなってしまう」

という危機意識をみんなが持ちはじめ、どうにかして学校を存続させようと一致団結したのが伊座利の村おこしのはじまりだったのです。


まず何をするのか?

村おこしをはじめようとしたものの、何をすればいいのか誰も全くわからない。留学制度を取り入れ、伊座利校の生徒を増やそうとやっきになるものの、具体的な話は前に進まない。そんな状態がしばらく続きました。
行政に相談するも話は決まらず、阪神大震災で被災した子どもを受け入れようという案は出ても実行には至らず、何回も会合を開き議論した結果、1998年、伊座利の住民で結成する初めての組織「海の学校 留学の会」ができました。


伊座利の未来を考える推進協議会

天皇杯を受賞した伊座利の協議会。この協議会では現在、倶楽部イザリ〜ノキャンプ場、アラメ加工場、イザリCafeの管理を行っています。
協議会ができた当初、会員自らがお金を払って運営費にしていました。それから徐々にその姿勢や活動が認められ、これら3つの施設以外にも、交流会館、町営住宅などにも町や国が予算をつけてくれるようになりました。

イザリCafeで働く奥様方イザリCafeで働くおばちゃんたちに給料はありません。皆さん伊座利の奥様方。家事と漁師の仕事で忙しいにも関わらず、毎日のようにイザリCafeに働きにやってきます。
伊座利の住民たちは、お金や何かの見返りを求めてこれらの活動をやっているのではありません。地域が、伊座利が、どんどん変わっていくことに喜びを感じ、目に見えない伊座利の財産を日々感じることが、協議会に関わる人、伊座利で暮らす人にとっての報酬なのです。


伊座利での暮らし

伊座利には、不登校になってしまった子どもとその親が、海の学校や伊座利での生活を求め数多くやってきます。
いくら自然環境がいいとはいえ、便利さとは程遠い伊座利。
遠い昔についたあだ名は「陸の孤島」。
そんな不便な伊座利に北は北海道、南は九州から家族ぐるみで次々に移住してきます。

その一番の理由はやはり伊座利の人の温かさではないでしょうか。
登校中の移住してきた子どもに漁師のおじさんが「おはよう」と声をかける。返事がないと「何であいさつせんのんな」としかる。筋の通らない話には、子どもであっても大人に「それおかしいんちゃうか」と遠慮なく言う。
一度受け入れたら「家族」。みんな伊座利の子どもだ。という意識が伊座利全体にあります。

留学生には一人一人に大きな変化があるという話をよく耳にします。
4年間学校に行けなかった5人兄弟が全員学校に行くようになったり、拒食症で医者にも見放された子どもが今ではぽっちゃりな子になったり。
これらの変化は全て伊座利住民の温かさがもたらしたものではないでしょうか。

「子どもの根本的な問題は常に親が原因で生まれる。
親が変わらなければ子も変わらない。」

という伊座利住民の考え方が全てを変えてしまいます。
伊座利は子どもだけでなく、
親も先生さえも教育してしまう村・・・


漁船が帰ってきた。漁協から学校へ連絡が入る。先生は授業を中断。急いで港に駆けつけ、今日もみんなで魚の運搬を手伝う。

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